昭和31(1956)年3月 | 枚方市に生まれる 枚方市立殿山第二小学校、枚方市立第三中学校、大阪府立寝屋川高等学校、早稲田大学第一文学部を卒業 |
昭和54(1979)年4月 | 産経新聞社に入社 京都支局を経て東京本社政治部記者 中曽根首相番、自民党(田中派・竹下派)担当 |
昭和62(1987)年4月 | 大阪府議会議員に当選 |
平成3(1991)年4月 | 大阪府議会議員に再選、文教委員長などを歴任 |
平成7(1995)年4月 | 市民党を掲げて枚方市長に初当選(39歳) 3期12年間枚方市長として市政の発展につとめる この間、大阪府市長会会長(2期)、全国青年市長会会長、環境自治体サミット共同代表、道路整備促進期成同盟会全国協議会会長などを歴任、都市間の調整や都市問題の解決に尽力 |
平成15(2003)年 | 3期目の市長選挙において、全国に先駆けてマニフェストを作成し、マニフェストに沿った市政運営を実現 また、マニフェストが実行できたかどうかを市民がチェックする、全国初の「マニフェスト検証評価大会」を2度にわたって実施 |
平成19(2007)年 | 4期目就任1ヵ月後、大阪地検特捜部が、第二清掃工場の建設工事で「談合が行われた」として枚方市役所を家宅捜索 検察側は、「中司市長が小堀副市長に指示した市役所主導の官製談合」との事実誤認のストーリーを組み立てて強制捜査に踏み切り起訴に及んだが、一審で小堀副市長の無罪が確定したため「官製談合」という検察のストーリーが崩れる しかしながら、公判で一貫して主張した無罪の訴えは聞き届けられず、平成21(2009)年4月、一審で懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決 平成22(2010)年11月、二審で控訴棄却 事実関係から「不当判決」は明らかであり、現在、最高裁に上告中 |
平成23(2011)年1月 | こうした状況の中、「中司宏を支援する会」が発足 裁判闘争の支援や取り調べの可視化を求める署名活動を展開し、6月10日、約4万3千名の署名簿を法務大臣、最高検、最高裁等に提出 |